ありんど写真館 フライヤー


Shinichi ANDO Art Works

ヒマラヤの山肌ストゥパ そして強い日差し

アルチ寺の子供 姉と弟 

私が彼らを見ているのではない。彼が私の世界をのぞきこんでいる。 

強烈な視線です。

アルチ寺 かつてガンダーラ(アフガニスタン?)まで拡大して栄えた前期仏教は回教によって一掃されるのですが、唯一アルチ寺だけが残されたようです。インダス川の支流のヒマラヤの大地のふところの深さなのでしょう。

ここには最も古いアルチの壁画があります。そしてその部屋を守るように奇怪な仏像が立っている。合掌されたその手から捻じ曲げられたように3本の腕がのびる。そのパワーは並外れていて、きっと千手観音の原形なのだろうと想わせます。ここでみられる仏像仏画は我々のなれひたしんだそれとはあきらかにちがうものです。

黄金の仏像 Hemis寺 いつもは閉ざされた部屋の古い仏を私のために次々と開いてくれた。

Hemis寺の正月を迎える。1990年12月6日 正月を迎えるために村人たちがへミス寺に集まってくる。この極限の地(地球上2番目に寒い地に住む人々)のしかも30年来の寒波に、人々は身を寄せ合って生きている。生存のために人が人を求める、真理を求める力強さに見つめられると、思わず恥じ入ってしまう。

地下の広場に集まる人々

古いゴマ・ジーの面 四面の赤・青・黄色・白の面をつけて踊る。面を彫り、踊るのは修行精進であるから、代々新しい面が作られる。旧くなった面は飾られ、その作った人の魂が宿っている。

空海が密教の教えを持ち帰った一つに理シュ教がある。しかし、日本では世の混乱をもたらすとして密閉した。パワフルな教典。

(男女の営みによってさとりにいたる)

サクティ寺の老僧 私を迎え入れるそれは へミス寺のティギュメット氏から友達のサクティ寺ユルゲン・ツリング僧に身をあずけられたからです。その師がその老僧、岩の一部のように座る。

この写真群は1990年の正月と夏、二回にわたりヒマラヤ山脈深奥LADAK地方を撮影したものです。二十六年経た今何故新たにするかと云うと、芸術や表現に関わるものは全てが歴史によって成立しているという思いを今ほど強くするからです。
芸術の幹と根は沈黙であるその最も強く求める力が持つ文明、一億五千万年とも言われる文明が人々の営みを抱きつづける、人が住む地球上二番目に寒い環境によって隔離され、ゆっくりと進行したからなのだろ、今となっては激流に呑み込まれてしまっているかもしれない、有史に根ざした人々。我々にとっては世界を二次元化立体化しうる意味を持つその一つと思うからです。

福島という核の洗礼に対して❗
一億五千万年という意味は世界文明の中で狩猟移動民族から農耕定着民族になって文明を持つことになるというのが従来の歴史観ですが、三内丸山遺跡の発掘があって世界が注目している歴史観を覆すことが日本に発見された。それは狩猟民族から農耕民族に移行しないで世界で唯一狩猟定着民族としての文明が二千年前まであり得た驚きです。弥生時代に入っても陸奥の地域を中心とした狩猟文明は受け継がれ、江戸時代に税が米の石高制度になることで枯渇してゆきますが、福島はそれでも根底に狩猟文明の地下水脈を受け継がれている中心地でもあったと思うからです。一発の津波によって原発の制御は失なわれて、水脈は凍結された。私はその一元的な強制された世界から二次元世界の展望を試みます。一朝一夕にあり得るはずも
ないのでスガ。